東日本大震災のあの日。
東京・日本橋のオフィスで、突然の大きな揺れを感じました。
いつも慌ただしく動いているオフィスの中で、街全体の動きが止まる瞬間 を経験したのは初めてでした。
「けしてビルから出ないように」
そんなアナウンスが流れる中、不安に耐えきれず外へ飛び出していくメンバー。
私もその後を追って地上に降りると、目の前に広がっていたのは 高島屋の1階フロアでうずくまる人々の姿。
その時、はじめて 「ただの地震ではない」 という現実を知りました。
「これからどうなるのか」 夕方、見た光景
揺れがおさまっても、電車は動かない。
スマホのニュースを何度更新しても、新しい情報はなかなか入ってこない。
そんな中、仙台空港の映像がテレビに映し出されたのは、夕方のことでした。
波にのまれる街、変わっていく景色。
その映像を見た瞬間、涙があふれました。
今、何が起こっているのか、事の深刻さをようやく理解し、
「仙台支店のメンバーは無事だろうか?」 そんな思いが頭をよぎりました。
「帰れない夜」 あたたかいおにぎりの温もり
夜になっても、電車は動かず、帰る手段を失った私たちはオフィスに留まることに。
コンビニはすでに食料がなく、飲食店もすべて閉まっている。
そんな時、近くに住むメンバーが 「みんなのために」と持ってきてくれたおにぎり。
あたたかいおにぎりが、こんなにもありがたいものだと感じたのは初めてでした。
みんな遠慮しながらも、美味しくいただき、
「誰かが自分を気にかけてくれている」 という安心感に、少しだけ心がほぐれたのを覚えています。
「翌日、安否確認の朝」
夜が明けても、街はまだ混乱の中にありました。
一部の電車は動き出していましたが、帰宅難民の列が続き、家に帰れる見込みがないメンバーもいる。
そんな中、私たち管理職に与えられたのは 仙台支店の安否確認。
電話はつながらない。
何度も何度もかけ直し、ようやく届いた「みんな避難している」という情報に、安堵したのを覚えています。
阪神淡路大震災の記憶
私自身、過去にも一度 震災の恐怖 を経験しています。
阪神淡路大震災の時、尼崎市塚口で つきあげるような衝撃と、その後の激しい横揺れ。
ベッドから起き上がることもできず、ただただ 「死んでしまうかもしれない」 という恐怖に包まれました。
電線は切れ、ブロック塀は崩れ、
倒壊した建物が生々しく残る景色。
けれども、あの時は復興が早かった。
人々が前を向き、街が少しずつ再生していくのを目の当たりにしました。
「あれから」 震災を忘れないために
3.11から、もうすぐ14年。
震災の記憶は、年を重ねるごとに少しずつ薄れていくかもしれません。
でも、あの時感じた恐怖、支え合うことの大切さ、そして生きていることへの感謝 は、決して忘れてはいけないと思っています。
🌿 私たちにできることは何か?
🌿 次の世代に、震災の教訓をどう伝えていくか?
「災害はいつか必ずまた来る」
そのことを心に留め、備えながら生きることの大切さ を改めて感じています。
あの日、
助け合った人々のやさしさや、支えてくれた人への感謝を忘れずに、
「私たちが今できること」を考え続けていきたいと思います。